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愛すべき博多っこ!川上音二郎!!

上音二郎という人のこと、聞いたことありますか?この人、博多区対馬小路に生まれて、世界を駆けめぐった明治の演劇人なのです。幕末の1864年に生まれ、14歳の時(明治11年)に、博多港から船に乗って大阪に渡り、歩いて東京まで行き、福沢諭吉の書生などをやりながら、政府に対抗した自由民権運動に参加するようになります。

明治20年代になると、自由民権運動の取り締まりが厳しくなって、音二郎は東京から追い出されます。そんなときに、進歩的な思想家だった中江兆民(なかえちょうみん)が彼に芝居をやってはどうかと勧めました。じゃあやろうか…と芝居を始め、出し物の一つとして生まれたのが一世を風靡する「オッペケペー節」です。自由民権運動にからませた歌詞が人気となり、大評判となりました。舞台で反政府運動を行っていたので、音二郎の芝居は「壮士芝居」と呼ばれました。歌詞の一部を紹介すると ♪権利、幸福嫌いな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい オッペケペ オッペケペ オッペケペッポ ペッポッポー…

これを唄うときは陣羽織を着てハチマキを締め、日の丸の扇を持って袴(はかま)という格好です。
明治24年(1891)、売れっ子芸者だった貞奴(さだやっこ)と結婚、二人で「川上座」を立ち上げて、彼女は日本初の女優となりました。明治32年にはなんと川上座はアメリカに渡り、ニューヨークやワシントン、ボストンなどで興行、翌年にはパリ万博に呼ばれて公演し大人気を博しました。そのまた翌年にはスペインからロシアまで14カ国を回ったといいます。また「オッペケペー節」はレコードとなり、これが日本人最初のレコーディングだったとか。帰国してからは、シェークスピアの「オセロ」や「ハムレット」などを上演し、興行師として成功しますが、明治44年(1911)11月11日に舞台で倒れて亡くなりました。そういう訳で、川上音次郎が亡くなった11月11日、今年は日曜日にあたりますが、彼のお墓がある承天寺で「川上音二郎忌」があり、ゆかりのイベントが行われます。

また11月10日から12月30日まで東京・日比谷の新しい劇場「シアタークリエ」のこけら落とし作品として「恐れを知らぬ川上音二郎一座」が上演されます。作・演出は三谷幸喜、音二郎役にはユースケ・サンタマリア、貞奴を常磐貴子が演じます。なぜか今、川上音二郎に注目が集まっているのです。

Originally published in Fukuoka Now magazine (fn107, Nov., 2007)

 

Category
Art & Culture
Fukuoka City
Published: Nov 1, 2007 / Last Updated: Jun 13, 2017

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