福岡市の町には1979年まで、西鉄が運営する路面電車、通称・チンチン電車が走っていました。このチンチン電車、福岡市内を初めて走ったのが、1910年(明治43年)3月9日といわれています。この日は開通式で、翌日の10日から営業運転したようです。電車を走らせたのは、福博電気軌道。創設者は慶應義塾大学をつくった福沢諭吉の養子であった福沢桃介と、後に電力王や電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門(やすざえもん)。同年3月、現在の天神で行われた「第13回九州沖縄八県連合共進会」という博覧会の開催に間に合うようにと急いだのです。博多停車場前(当時の博多駅)から呉服町、箱崎の九州大学前から西公園間、全長5.6キロの路線で開業しました。当時の運賃は1区1銭、それに通行税が1銭で計2銭でした。ちなみに、九州帝国大学が発足したのは1911年のことです。我が国初めてのアマチュアオーケストラ・九大フィルハーモニーが創立されたのも同年というのは驚きです。
1911年には、博多駅前から天神町(昔の天神は「てんじんのちょう」と呼ばれていました)を経由して取引所前が開通し、1914年に千代町から博多駅前が開通して、循環線と呼ばれた路面電車網が完成しました。この電車が開業したからこそ、天神の町は発展していっ...
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お正月も終わりましたが、旧正月、今年は2月3日のようです。中国や韓国などアジア各国では、まだ旧正月を正月としている国や地域は多いようです。そして、子どもたちの正月の遊びといえば凧揚げ(たこあげ)や羽根付き、独楽まわしでした。今ではそんな遊びをしている子どもたちの姿を見ることはなくなりました。
さて、独楽ですが、日本に独楽が伝えられたのは今から1300年ほど前の奈良時代、朝鮮半島を経由して中国から伝わった竹製の唐独楽といわれます。その後、江戸時代(17世紀後半)になって、現在の独楽の原型ともなる木台に鉄芯を打ち込んで回す独楽が博多で作られたのです。独楽は相手の独楽にたたきつける「けんか独楽」として全国に広がりましたが、博多独楽は曲芸独楽として独特の発展をとげました。博多独楽は揺れに強く、よく回ることから手にとって移動させたり、刀や扇の先にのせて回すという曲芸を生み出したのです。現在の博多独楽は伝統工芸品の独楽をさすだけではなく、県無形文化財に指定されている伝統芸能をもさしています。江戸時代には曲芸師が京都まで出向いて芸を披露し、大人気を博したそうですが、明治時代以降、博多独楽の芸は途絶えていました。それを初代・筑紫珠楽(ちくししゅらく)が復興し、2代目の珠楽さんに独楽...
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福岡市早良区の藤崎バスターミナルの前に、ひっそりとたたずむ小さな猿田彦(さるたひこ)神社があります。いつもはお参りする人もいない閑散とした神社なのですが、年に何度か大にぎわいを見せる日があります。年明けて最初ににぎわうのが「初庚申(はつこうしん)」の日。この日は毎年異なりますが2011年は1月5日(水)、日の出前の早朝5時半には、境内をぐるりと人が囲み、社務所が開くのを多くの人が待っています。何を待っているかといえば、そこで売られる縁起物のお面、猿面です。
神社の祭神・猿田彦というのは、天孫降臨の際にニニギノミコトを道案内したという神さまで、それ以来、道の神、旅人の神、導きの神、道案内の神さまとして親しまれているとか。さらに猿は「去る」に通じて、火難や盗難を防ぐとされ、博多っ子は玄関にこのお面を掛けてお守りにしています。博多部を歩いていると、博多祇園山笠の役割(総務とか赤手拭いなど)を書いた表札の隣にこの猿面が飾られているのを見ることができます。
この猿面ですが、ひとつひとつ職人さんの手作りだそうで、よく見ると表情が微妙に異なります。毎年新しいお面と古いお面を掛け替えるのですが、少しずつデザインも異なるようで、毎年のお面をずらりと飾っているツウの人もいるよ...
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ここに何度となく登場したことがあるのが、「お櫛田さん」と博多っ子に呼ばれる、博多の総鎮守・櫛田神社。福岡の夏の風物詩、博多祇園山笠のクライマックス、7月15日早朝の追い山が行われるところとして有名ですが、12月に行われるこの行事を知っている人は少ないようです。それは夫婦(みょうと)恵比須大祭・ご千座。櫛田神社には、櫛田の焼き餅屋さんから入って右側に末社の恵比須神社があり、これが全国的にも珍しいことに男恵比須、女恵比須が祭られている夫婦恵比須なんです。
その昔、ここ神社あたりは櫛田浜という海岸で、年中商いの船や漁船が多く出入りしており、商売繁盛や大漁祈願が行われ、神さまと人が一緒に食事をする儀式(神人同食)「ご千座」が催されていたそうです。それ以来、恵比須さまは商売繁盛、豊漁豊作に加え、夫婦円満の神さまになられました。櫛田神社では、毎年12月2日と3日にご千座、通称、三日恵比須のお祭りがあります。2日は宵えびすで、午後5時から夜11時まで、3日は本えびすで午前10時から午後4時まで30分ごとに千座が行われます。
恵比須会館の大広間でお払いを受け、千座券(1,500円・当日券あり)の番号順に入って席に着くと、白衣裃(かみしも)姿の世話人たちが大きな鯛を御輿(み...
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北風が吹き始めて、寒くなってくると(今年寒くなるのかどうか疑問だけど)、食べたくなるのが鍋料理です。福岡・博多で鍋というと、若者は「もつ鍋」を思い浮かべ、博多に長く暮らしている者は「水炊き」を思い出すことでしょう。
「博多の文化の特長は、よそから来たものをうまくアレンジして、あたかも自分のところの特産みたいにしてしまうことですね。料理だってそうです」と語っていたのは、博多町人文化連盟の初代事務局長で風俗史研究家の帯谷(おびや)瑛之介さん(故人)です。
実は典型的な日本料理だと思われている博多の名物料理・水炊きは中国料理と西洋料理がヒントになっているそうです。水炊きの老舗「水月(すいげつ)」(現在、中央区平尾3丁目に本店あり)の創始者・林田平三郎さんが考案した食べ物といわれています。長崎に生まれた林田平三郎は15歳で香港に渡り、英国人の家庭に住み込んで洋食の勉強をしたとか。帰国後、そこで習得した西洋料理のコンソメと中国料理の鶏の水煮をあっさりしたスープ仕立てにして、季節の野菜やうどん、餅、最後は雑炊にまで広げて日本の味にしてしまったのです。これを1905(明治38)年、福岡に持ち込んで「水月」の看板を上げたのが始まりだといわれます。別名・博多煮とも呼ばれて博...
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福岡市は、市内の中央を流れる那珂川を境に、西が福岡城のある城下町・福岡、東は商人の町・博多と呼ばれる双子都市(ツインシティ)です。博多には、中世から歴史や文化を担ってきた神社仏閣、旧跡が数多く残っています。そんな博多の町で、9月から11月にかけ「博多秋博」と名付けられた、多彩なイベントやお祭り、催しが開催されます。 福岡・博多のまち全体が、博覧会会場のような雰囲気になるのでこの名称が付けられました。イベントの内容は、博多の神社やお寺を舞台にした情緒あふれる催しから、音楽やアート、演劇、ウォーキング、講演会などと、バラエティ豊かで見どころもいっぱいです。芸術の秋、食欲の秋、音楽の秋がすべて味わえるのが「博多秋博」です。
中でもおすすめは、「御供所(ごくしょ)・冷泉(れいぜん)ライトアップウォーク2010」。福岡市博多区の由緒ある神社仏閣が数多く残る地域。その中の承天寺、東長寺、妙楽寺、櫛田神社の4か所が幻想的に ライトアップされる美しいイベントです。博多祗園山笠発祥の寺であり、石庭が美しい承天寺や、弘法大師が創建した日本一古い霊場といわれる東長寺、博多豪商の墓が多く残る妙楽寺、そして博多の総鎮守として親しまれている櫛田神社が舞台となります。博多の拠点として重要な役...
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福岡・博多に秋の訪れを告げてくれる祭りが放生会、標準語的には「ほうじょうえ」ですが、地元ではなまって「ほうじょうや」と呼びます。博多祗園山笠、博多どんたくと並んで博多の三大祭りの一つ。放生会は八幡宮につきものの行事で、古くは西暦720年に大分の宇佐八幡宮で、戦争の犠牲者を供養したのが始まりだといわれます。それ以来、この祭りは生きているものを慈しむ行事となりました。福岡では毎年9月12日から18日まで、東区筥崎宮で行われますが、今は約1キロメートルの参道にずらりと並ぶ露店と、この時期だけ筥崎宮で売られる「博多チャンポン」が有名になりました。
箱崎の浜まで約700の露店がそれぞれの特色を出しながら、さまざまなものを売っていて、射的や輪投げ、ヨーヨー釣りなど夜まで楽しめます。この時期の名物は新ショウガ。戦前までは筥崎宮周辺にたくさんのショウガ畑があり、博多商人の奥様"ごりょんさん"たちがお土産で買って帰ったそうです。これは今も博多っ子の習わしとして定着しています。
そして人気が「博多チャンポン」、薄~いガラスでできたビードロで、息を吹き込むと「ポコペンポコペン」と音が鳴ります。筥崎宮の巫女さんたちが、ひとつひとつ丁寧に絵付けしたもので、限定販売ということも...
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福岡市の大きな財産が映像ホール・シネラで楽しめます。
早良区百道浜にある福岡市総合図書館はご存じですか?図書・文書・映像の3資料部門で構成されています。蔵書は約120万冊。毎週1回、新刊書の入れ替えを行いさらに新聞コーナーでは全国44紙・外国紙18紙の記事が読むことができますし、マイクロフィルムで明治時代の資料なども揃っています。中でも特徴的なのはフィルムアーカイヴです。アジアのフィルムアーカイヴを目指して、アジア各国の貴重なフィルムの収集・保存を行ってきました。また福岡・博多に関係の深い日本映画や実験映画などのフィルムも収集・保存し、映像文化を後世に伝える役割を担っています。
作品はアジア映画の代表作をはじめ、古典的名作や毎年行っているアジアフォーカス・福岡国際映画祭の上映作品など多彩で、国や地域も中国、韓国、台湾、香港はもちろん、カンボジアやトルコ、ベトナム、バングラデシュ、カザフスタン、モンゴルなど幅広く収蔵しています。今では福岡市の大きな財産となっています。この収集したフィルム、約900作品を市民に広く公開することを主な目的として映像ホール・シネラを設置。座席数は242席、1996年6月の開館から、毎月さまざまな企画を組んでほとんど毎日上映しています(有料)。
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福岡・博多は日本で最初にまんじゅうが伝来したところといわれます。博多駅前1丁目の承天寺(じょうてんじ)の開祖・聖一国師(しょういちこくし)が、中国・宋にわたってさまざまな技術を身につけ、持ち帰ったうちの一つがまんじゅうの製法だったとか。そんな福岡の地に、名物となる夏限定の和菓子が誕生しています。その名も「博多水無月(みなづき)」。
今年で創立60周年を迎える福岡市和菓子組合には現在60社が加盟、そのメンバーの中から有志が集まり結成されたのが「新福岡・博多の和菓子開発研究会」、100年後でも定番として残っているような和菓子を開発しようという心意気で開発されたのが博多水無月なのです。この和菓子が生まれたのは1999年、今年で12年目を迎え、今ではこの博多水無月の発売を心待ちにしている人たちも多いようです。アズキとわらび粉を主原料として笹の葉で巻かれたもので、これにアレンジを加え、抹茶味、ミルク味なども開発されています。
水無月というのは6月の名称ですが、これはもちろん旧暦のこと。京都では1年のちょうど折り返し地点となる6月30日にこの「水無月」を食べて夏を乗り切る風習が今でも続いています。全国の住吉神社で、夏の無病息災を祈願する「夏越(なごし)祭」が行われますが...
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今やすっかり福岡市のシンボルであり、ランドマークとなっている早良区シーサイドももち地区にある福岡タワー。このタワーとドーム、そして海岸を入れて写真を撮れば、市内の人はもちろん、市外の人たちにも「あ、福岡だ!」と認識してもらえる風景となりました。福岡タワーは1989年、福岡市制100周年を記念して行われた「アジア太平洋博覧会(通称・よかトピア)」でモニュメントとして建設されたもの。福岡市では、NHKと各放送会社のテレビ塔を移転しようという構想が前々からあり、そこにこのモニュメントタワーの話が浮上して、計画が決まったそうです。博覧会のシンボルとなり、なおかつ電波塔としての役割を持つ福岡タワーは、観光・展望タワーとしての性格を合わせ持つ全国でもユニークなタワーとして福岡市民に親しまれています。
高さは234メートル、海浜タワーとしては全国一の高さです。また5階展望室までの高さが123メートル。福岡を知っている人なら「なぜ、こんな高さのタワーを建てることができたの?」と疑問に思う人がいるかもしれません。それは、地下鉄なら博多駅から5分、天神からでも11分で到着する、都心から近い福岡空港の存在を知っている人です。航空法上の高度制限など、飛行機の離発着に影響はないのかと問題...
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福岡の人には通称「ミッション」と呼ばれている福岡女学院中学校・高等学校。今年の2010年で開校125周年を迎える歴史のある学校です。1885年、現在の天神2丁目、福岡因幡町に宣教師だったジェニー・ギール女史により創立されました。1888年には天神町に福岡唯一の西洋館だった新校舎を建てました。この学校で有名なのが、1921年にセーラー服を制服にしたことです。当時の校長だったエリザベス・リー女史愛用の活動しやすい洋服をもとにセーラー服を考案したといいます。
実は、全国初のセーラー服は福岡女学院と伝えられていたのですが、1920年に京都の平安女学院がワンピース型のセーラー服を制服にしていたという文献が見つかったそうで、現在の上下セパレート型のセーラー服は福岡女学院が全国初ということになったようです。福岡女学院では紺色の冬服から、創立記念日である5月18日から夏服に替わります。水色のギンガムで、半袖のセーラー服が大人気。この水色半袖セーラー服が、福岡の町に初夏の訪れを告げてくれるのです。
もう一つ福岡の人にお馴染みなのが、5月18日の学校行事。メイクイーンとメイポールダンスです。メイクイーンはその名のとおり、5月の女王。現在のメイクイーンは中学2年生全員の中から生徒の...
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先端のファッションやデザインを教えてくれる雑誌『BRUTUS』(マガジンハウス発刊)の3月15日号の特集は、「アンチTOKYO?クールLOCAL!」と題し、“魅力ある地方都市ランキング50”。京都市や札幌市、那覇市や金沢市など名だたる都市を押さえて第1位に輝いたのは、そうです!私たちが住んでいる福岡市でした。
審査員の一人でもある山本宇一さんはカフェブームの仕掛け人として有名な方です。福岡にも那珂川に面したカフェ「COMMENT ALLEZ VOUS」や天神の和風カフェ「HARUQUI」をプロデュース。仕事以外でも福岡に頻繁に訪れているうちに、この街が大好きになったそうです。山本さんが福岡市の魅力だと感じているのは「変化球を受け止めてくれる懐の深さ」だとか。古くから大陸との交流があり、アジア的な要素と日本文化がミックスされて、独自の文化として成熟してきたために、誰かが変わったことを始めてもそれを受け止めてくれると言います。
東京出身の山本さんが福岡に来ると足繁く通っている店として紹介しているのは、まさに福岡住民が日常的に通っている店ばかり。それを見ても「オヌシ!福岡市の魅力の本質が分かっておるな!」と感じます。たとえば、今泉の「宮原酒店」は昭和初期から続く隠れた名店(...
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福たび…足袋ではありません、旅です。福岡・博多でしか体験できないことを提供する旅の名称です。これまでの、旅行会社が企画するツアーではなく、旅行客を受け入れる観光地(到着地)が企画したツアー、これがこの頃話題の「着地型観光」といわれるもの。その土地の人しか知らない穴場や隠れ名所、伝統料理や生活文化体験などが組み込まれ、案内もその土地の人が行うツアーです。2009年に福岡市が広く一般に公募して採用されたもので、福岡ならではの楽しみを、おもてなしの心で提供するまったく新しい福岡の旅、4月18日まで開催予定です。ツアーは、全部で55コースあります。
「福岡のまち文化を体験するツアー」は、全27コース。例えば、「マイ博多人形絵付け体験コース」では、素焼きの人形に絵付けして、自分だけの博多人形をお土産として持ち帰ってもらいます。他にも「オリジナルの博多もつ鍋を作る」コースや焼き鳥を自分で焼いて食べる「備長炭で焼鳥体験」もあります。
「まち歩きツアー」は、全16コース。「博多ラーメンヒストリーツアー」と称して、地元のヌードルライターと一緒にラーメン店をめぐり、ラーメン作りを体験するコースがあります。太宰府まで足を延ばして、お寺をめぐるツアーもあり。
外国人旅行者も楽...
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福岡市職員が持っている名刺のほとんどには光り輝くマークが印刷されています。これを渡すとこれまたほとんどの方が「ああ、これが金印ですか?」と問われます。そう、福岡市が誇る最も有名なモノ、それが金印「漢委奴国王」(きんいん・かんのわのなのこくおう)と呼ばれています。江戸時代の天明4年(1784)2月、博多湾に浮かぶ志賀島で農作業中に発見されたといわれます。印面は正確に2.347センチ四方で市職員の名刺に刷られているのと同じ大きさで、小さいものです。重量は108グラム、つまみに蛇のとぐろのある金印は江戸時代の大学者で城下町、唐人町に住んでいた亀井南冥(かめいなんめい)によって研究され、金印の正体が解き明かされました。
その正体とは、中国の史書『後漢書』中に記載されている「建武中元2年(57)、光武帝がはるばる訪れてきた北部九州の首長に贈った印綬」と書かれていたものとぴったり一致するというものです。始めに中国の王朝名、次ぎに民族名、部族名の順番で、委奴というのは委族(日本人)の奴(部族)という意味だそうです。金印は当時の福岡藩主・黒田家に伝わり、福岡市美術館が完成するのをきっかけに、1978年、福岡市に寄贈されました。現在は百道浜の福岡市博物館で保管・展示されています。
金印...
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1月7日は七日正月といわれ、この日に春の七草を食べると万病を取り除くといわれる古くからの風習があります。春の七草とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。この順番が日本人には覚えやすい音になっています。ゴギョウとはハハコグサ、スズナはカブ、スズシロはダイコンのことで、昔なら家の近所に雑草として生えていたような植物です。カブとダイコンは近所の畑で栽培されていたのでもらっていました。この七草は早春の時期にいち早く芽吹くことからエネルギーが満ちた植物と言って良いでしょう。お正月のおせち料理に飽きたころでもあり、正月疲れが出て胃腸も弱り気味の時期に七草をお粥(かゆ)の具材にして食したのです。でも博多では、お粥よりもみそ汁の具にしていた家庭が多かったようです。七草粥というよりは、七草汁ですね。
七草はいわば日本のハーブ。今では1月6日から7日にかけて、スーパーやコンビニエンスストアで七草を花束のように1セットにして売っています。現在の七草を食べる風習は1362年ころに書かれた文書にあるようですが、江戸時代に武家や庶民の間に広がったようです。
ちなみに1月7日は太宰府天満宮で日本三大火祭りの一つ「鬼すべ神事」が午後9時ころから行われます。「鬼じゃ、鬼じ...
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12月の福岡の街はクリスマスのイルミネーションで光り輝いています。デパートやファッションビル、人気ブランドのショップがひしめく天神をはじめ、福岡市の商業施設や観光スポットはイルミネーションできらめいています。今回はクリスマス気分を思う存分味わえる場所を紹介します。
天神のメインストリートである渡辺通りの街路樹や、三越デパートの近くにある警固(けご)公園はクリスマス・イルミネーションのメイン会場です。毎年「天神のクリスマスに行こう」をメインテーマにして素敵なイルミネーションを演出しているのはWe love天神協議会という組織。天神の街中に人が楽しめるさまざまな空間をつくり、都心の活性化、魅力アップへとつなげようというプロジェクトです。天神にあるデパートや企業、新聞社そして福岡市役所などがそれぞれの立場を超えて連携し、一体となって組織されています。そのメインイベントといえるのがこのクリスマス・イルミネーション。メイン会場の警固公園は「TENJIN 光のファンタジー」と題して公園中が光の王国となります。大丸パサージュ広場、岩田屋、イムズ、天神地下街、三越、福岡銀行本店などでも美しいイルミネーションが見学できます。
ほかにも、那珂川沿いにあるアミューズメント施設・キャナル...
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11月15日は七五三。日本では3歳、5歳、7歳という節目に子どもの成長をお祝いする風習があります。全国各地の神社で、正装した子どもたちとお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんがお参りしている姿を見ることができるはず。もともとは江戸時代の武家に伝わる風習のようですが、全国に広まったのは明治以降とか。
ここ商人の町・博多でも子どもが3歳になると吉日を選んで「お膳すわりの祝い」が行われ、それまでは親の食べ物をもらっていたのが、3歳で初めて自分の膳が与えられ、箸を使って正式な食事を取り始めるというものです。そのお膳が「ポッポ膳」という子ども用の小さなお膳。ポッポ膳は白木の四角い足つきお膳に、目出度い図柄の松竹梅と鶴亀が描かれている可愛らしいもの。ポッポは鶴のことで、鳥をポッポと呼ぶ幼児語が由来です。
ポッポ膳は福岡市東区馬出(まいだし)で作られている博多の名産「博多曲物(まげもの)」で、スギやヒノキの薄い板を熱湯につけて柔らかくして成型し、桜の樹皮で綴じて作られます。馬出の近くにある筥崎宮の儀式に使われる祭具として発展してきた木工芸品といわれます。ご飯を入れるお櫃(ひつ)や弁当箱など生活用品としても使われてきました。今でも民芸品として人気で、櫛田神社前の「博多町家」ふ...
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1889年、明治22年4月1日、福岡市は誕生しました。今年、市制施行120年を迎えた福岡市の歩みを振り返る展覧会が福岡市博物館で行われています。展覧会の名前は「福岡近代絵巻」。福岡市が誕生したときは人口50,847人、現在の中央区の一部と博多区の一部が一緒になった小さな市でした。九州では、福岡市と同時に久留米市、佐賀市、長崎市、熊本市、鹿児島市が同時に市になっています。誕生当時は、人口でいえば鹿児島市、長崎市に次ぐ3番目の都市、国の中枢機関などは熊本市に集まっていました。
この120年間で福岡市はどのように成長してきたのか、市民の暮らしはどのように変化してきたのか、明治から平成までの古い写真やさまざまな資料で分かります。明治時代から昭和6年まで福岡市民に正午の時報を知らせ、通称ドンと呼ばれていた午砲(ごほう・大砲のこと)は博物館初展示、明治時代の博多の風俗を描いた祝部至善(ほうりしぜん)による絵も一挙に公開です。
また64年前に福岡の街を焼け野が原にした福岡大空襲前、美しかった市街地を写した昭和10年代の航空写真も初公開。他にも、福岡市民に大興奮をもたらしてくれた昭和30年代の西鉄ライオンズ大活躍の写真や資料も見逃せません。見逃せないといえば、展覧会期間中に、福岡・博...
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1999年にオープンした福岡アジア美術館。アジアの近代・現代美術作品を系統的に収集し、展示している世界でただ一つの美術館。この美術館とトリエンナーレが始まることになったのは、1979年に大濠公園に開館した福岡市美術館がオープン以来開催してきた「アジア美術展」がきっかけです。独自の文化と伝統を持つアジアの美術作品は、今でこそ注目を集めるようになりましたが、福岡市美術館は30年前からアジア各国の美術作品に着目してきたのです。
1970年代、全国で地方自治体による美術館、博物館の建設が相次いでいて、福岡市でも美術館建設が重要な案件となっていました。美術館は福岡という都市を象徴されるものでなくてはいけないと企画されたのが開館記念の「アジア美術展」です。福岡市は昔からアジア文化の受け入れ窓口であり、歴史的にまた地理的にもアジアと深い関係にあったのですから。しかし1970年代後半から1980年代、美術界においてはアメリカ現代美術が最も刺激的で世界から注目を集めていたこともあり、アジア美術をテーマとする企画は周りの理解を得ることが難しかったようです。まさにゼロからの出発。それでも、開館記念展覧会では13カ国から471作家の作品を集めています。
当初は相手の国に作家や作品を選んでもら...
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夏休みになると友人、家族で楽しむのが海水浴。福岡だと思い浮かぶ海水浴場は、西区なら能古島、生の松原、大原(おおばる)など、東区は志賀島、勝馬あたりでしょうか。さて、この海水浴というもの、いつ頃から始まったレクリエーションなのでしょうか。
もともとは、18世紀頃のイギリスで海水療法を行うために医師が作った海浜保養地が始まりだといわれます。日本ではどうでしょう。記録によると、19世紀終わり頃の1880年頃から、岡山県や兵庫県の須磨海岸などに次々と医療目的の海水浴場が設置されたそうです。
では、福岡市の場合は?福岡日日新聞(西日本新聞の前身)によると、20世紀の初め、1918年である大正7年、福岡日日新聞が早良郡西新町(現在の早良区)に初めて海水浴場を主催したとあります。松原続きの浜にはテニスコート、相撲場、輪投げなどを設置し、沖にタライやイカダ、救護船まで浮かべています。つまり、30年ほどの間に医療目的からレクリエーションの場に海水浴場が変化していったのです。しかし、新聞紙面では連日、海水浴の効用を説明し、「婦人も海へ」というキャンペーンを行っていたと書かれています。
ところで、福岡市初の海水浴場である西新町、漫画「サザエさん」が生まれた場所でもあるのです。原作...
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