福たび…足袋ではありません、旅です。福岡・博多でしか体験できないことを提供する旅の名称です。これまでの、旅行会社が企画するツアーではなく、旅行客を受け入れる観光地(到着地)が企画したツアー、これがこの頃話題の「着地型観光」といわれるもの。その土地の人しか知らない穴場や隠れ名所、伝統料理や生活文化体験などが組み込まれ、案内もその土地の人が行うツアーです。2009年に福岡市が広く一般に公募して採用されたもので、福岡ならではの楽しみを、おもてなしの心で提供するまったく新しい福岡の旅、4月18日まで開催予定です。ツアーは、全部で55コースあります。
「福岡のまち文化を体験するツアー」は、全27コース。例えば、「マイ博多人形絵付け体験コース」では、素焼きの人形に絵付けして、自分だけの博多人形をお土産として持ち帰ってもらいます。他にも「オリジナルの博多もつ鍋を作る」コースや焼き鳥を自分で焼いて食べる「備長炭で焼鳥体験」もあります。
「まち歩きツアー」は、全16コース。「博多ラーメンヒストリーツアー」と称して、地元のヌードルライターと一緒にラーメン店をめぐり、ラーメン作りを体験するコースがあります。太宰府まで足を延ばして、お寺をめぐるツアーもあり。
外国人旅行者も楽...
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福岡市職員が持っている名刺のほとんどには光り輝くマークが印刷されています。これを渡すとこれまたほとんどの方が「ああ、これが金印ですか?」と問われます。そう、福岡市が誇る最も有名なモノ、それが金印「漢委奴国王」(きんいん・かんのわのなのこくおう)と呼ばれています。江戸時代の天明4年(1784)2月、博多湾に浮かぶ志賀島で農作業中に発見されたといわれます。印面は正確に2.347センチ四方で市職員の名刺に刷られているのと同じ大きさで、小さいものです。重量は108グラム、つまみに蛇のとぐろのある金印は江戸時代の大学者で城下町、唐人町に住んでいた亀井南冥(かめいなんめい)によって研究され、金印の正体が解き明かされました。
その正体とは、中国の史書『後漢書』中に記載されている「建武中元2年(57)、光武帝がはるばる訪れてきた北部九州の首長に贈った印綬」と書かれていたものとぴったり一致するというものです。始めに中国の王朝名、次ぎに民族名、部族名の順番で、委奴というのは委族(日本人)の奴(部族)という意味だそうです。金印は当時の福岡藩主・黒田家に伝わり、福岡市美術館が完成するのをきっかけに、1978年、福岡市に寄贈されました。現在は百道浜の福岡市博物館で保管・展示されています。
金印...
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1月7日は七日正月といわれ、この日に春の七草を食べると万病を取り除くといわれる古くからの風習があります。春の七草とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。この順番が日本人には覚えやすい音になっています。ゴギョウとはハハコグサ、スズナはカブ、スズシロはダイコンのことで、昔なら家の近所に雑草として生えていたような植物です。カブとダイコンは近所の畑で栽培されていたのでもらっていました。この七草は早春の時期にいち早く芽吹くことからエネルギーが満ちた植物と言って良いでしょう。お正月のおせち料理に飽きたころでもあり、正月疲れが出て胃腸も弱り気味の時期に七草をお粥(かゆ)の具材にして食したのです。でも博多では、お粥よりもみそ汁の具にしていた家庭が多かったようです。七草粥というよりは、七草汁ですね。
七草はいわば日本のハーブ。今では1月6日から7日にかけて、スーパーやコンビニエンスストアで七草を花束のように1セットにして売っています。現在の七草を食べる風習は1362年ころに書かれた文書にあるようですが、江戸時代に武家や庶民の間に広がったようです。
ちなみに1月7日は太宰府天満宮で日本三大火祭りの一つ「鬼すべ神事」が午後9時ころから行われます。「鬼じゃ、鬼じ...
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12月の福岡の街はクリスマスのイルミネーションで光り輝いています。デパートやファッションビル、人気ブランドのショップがひしめく天神をはじめ、福岡市の商業施設や観光スポットはイルミネーションできらめいています。今回はクリスマス気分を思う存分味わえる場所を紹介します。
天神のメインストリートである渡辺通りの街路樹や、三越デパートの近くにある警固(けご)公園はクリスマス・イルミネーションのメイン会場です。毎年「天神のクリスマスに行こう」をメインテーマにして素敵なイルミネーションを演出しているのはWe love天神協議会という組織。天神の街中に人が楽しめるさまざまな空間をつくり、都心の活性化、魅力アップへとつなげようというプロジェクトです。天神にあるデパートや企業、新聞社そして福岡市役所などがそれぞれの立場を超えて連携し、一体となって組織されています。そのメインイベントといえるのがこのクリスマス・イルミネーション。メイン会場の警固公園は「TENJIN 光のファンタジー」と題して公園中が光の王国となります。大丸パサージュ広場、岩田屋、イムズ、天神地下街、三越、福岡銀行本店などでも美しいイルミネーションが見学できます。
ほかにも、那珂川沿いにあるアミューズメント施設・キャナル...
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11月15日は七五三。日本では3歳、5歳、7歳という節目に子どもの成長をお祝いする風習があります。全国各地の神社で、正装した子どもたちとお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんがお参りしている姿を見ることができるはず。もともとは江戸時代の武家に伝わる風習のようですが、全国に広まったのは明治以降とか。
ここ商人の町・博多でも子どもが3歳になると吉日を選んで「お膳すわりの祝い」が行われ、それまでは親の食べ物をもらっていたのが、3歳で初めて自分の膳が与えられ、箸を使って正式な食事を取り始めるというものです。そのお膳が「ポッポ膳」という子ども用の小さなお膳。ポッポ膳は白木の四角い足つきお膳に、目出度い図柄の松竹梅と鶴亀が描かれている可愛らしいもの。ポッポは鶴のことで、鳥をポッポと呼ぶ幼児語が由来です。
ポッポ膳は福岡市東区馬出(まいだし)で作られている博多の名産「博多曲物(まげもの)」で、スギやヒノキの薄い板を熱湯につけて柔らかくして成型し、桜の樹皮で綴じて作られます。馬出の近くにある筥崎宮の儀式に使われる祭具として発展してきた木工芸品といわれます。ご飯を入れるお櫃(ひつ)や弁当箱など生活用品としても使われてきました。今でも民芸品として人気で、櫛田神社前の「博多町家」ふ...
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1889年、明治22年4月1日、福岡市は誕生しました。今年、市制施行120年を迎えた福岡市の歩みを振り返る展覧会が福岡市博物館で行われています。展覧会の名前は「福岡近代絵巻」。福岡市が誕生したときは人口50,847人、現在の中央区の一部と博多区の一部が一緒になった小さな市でした。九州では、福岡市と同時に久留米市、佐賀市、長崎市、熊本市、鹿児島市が同時に市になっています。誕生当時は、人口でいえば鹿児島市、長崎市に次ぐ3番目の都市、国の中枢機関などは熊本市に集まっていました。
この120年間で福岡市はどのように成長してきたのか、市民の暮らしはどのように変化してきたのか、明治から平成までの古い写真やさまざまな資料で分かります。明治時代から昭和6年まで福岡市民に正午の時報を知らせ、通称ドンと呼ばれていた午砲(ごほう・大砲のこと)は博物館初展示、明治時代の博多の風俗を描いた祝部至善(ほうりしぜん)による絵も一挙に公開です。
また64年前に福岡の街を焼け野が原にした福岡大空襲前、美しかった市街地を写した昭和10年代の航空写真も初公開。他にも、福岡市民に大興奮をもたらしてくれた昭和30年代の西鉄ライオンズ大活躍の写真や資料も見逃せません。見逃せないといえば、展覧会期間中に、福岡・博...
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1999年にオープンした福岡アジア美術館。アジアの近代・現代美術作品を系統的に収集し、展示している世界でただ一つの美術館。この美術館とトリエンナーレが始まることになったのは、1979年に大濠公園に開館した福岡市美術館がオープン以来開催してきた「アジア美術展」がきっかけです。独自の文化と伝統を持つアジアの美術作品は、今でこそ注目を集めるようになりましたが、福岡市美術館は30年前からアジア各国の美術作品に着目してきたのです。
1970年代、全国で地方自治体による美術館、博物館の建設が相次いでいて、福岡市でも美術館建設が重要な案件となっていました。美術館は福岡という都市を象徴されるものでなくてはいけないと企画されたのが開館記念の「アジア美術展」です。福岡市は昔からアジア文化の受け入れ窓口であり、歴史的にまた地理的にもアジアと深い関係にあったのですから。しかし1970年代後半から1980年代、美術界においてはアメリカ現代美術が最も刺激的で世界から注目を集めていたこともあり、アジア美術をテーマとする企画は周りの理解を得ることが難しかったようです。まさにゼロからの出発。それでも、開館記念展覧会では13カ国から471作家の作品を集めています。
当初は相手の国に作家や作品を選んでもら...
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夏休みになると友人、家族で楽しむのが海水浴。福岡だと思い浮かぶ海水浴場は、西区なら能古島、生の松原、大原(おおばる)など、東区は志賀島、勝馬あたりでしょうか。さて、この海水浴というもの、いつ頃から始まったレクリエーションなのでしょうか。
もともとは、18世紀頃のイギリスで海水療法を行うために医師が作った海浜保養地が始まりだといわれます。日本ではどうでしょう。記録によると、19世紀終わり頃の1880年頃から、岡山県や兵庫県の須磨海岸などに次々と医療目的の海水浴場が設置されたそうです。
では、福岡市の場合は?福岡日日新聞(西日本新聞の前身)によると、20世紀の初め、1918年である大正7年、福岡日日新聞が早良郡西新町(現在の早良区)に初めて海水浴場を主催したとあります。松原続きの浜にはテニスコート、相撲場、輪投げなどを設置し、沖にタライやイカダ、救護船まで浮かべています。つまり、30年ほどの間に医療目的からレクリエーションの場に海水浴場が変化していったのです。しかし、新聞紙面では連日、海水浴の効用を説明し、「婦人も海へ」というキャンペーンを行っていたと書かれています。
ところで、福岡市初の海水浴場である西新町、漫画「サザエさん」が生まれた場所でもあるのです。原作...
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博多祗園山笠を見たすべての人は「この祭り、カッコ良い!」と思うはずです。スーツ姿では疲れた雰囲気を醸し出すおじさんたちや若者が、あの山笠姿に変身するとがぜん、カッコ良く見えます。締め込み姿に役割によって色や柄が違う手ぬぐい、地下足袋、腰に下げたかき縄、その中でもひときわ男たちをカッコ良く見せているのが法被です。
法被には2種類あり、実際に山をかくときに着ているのは「水法被」、勢い水を浴びることからこの名前が付きました。水法被は白地に流(ながれ)や町名の名前をデザイン化して染められており、前を固く結ぶことになっています。転んだときでも法被をつかんで起こしやすいから。もう一つは粋な「当番法被」、長法被とも呼ばれ、久留米絣にこれまたデザインがカッコ良いのです。6月1日から山笠終了までこの当番法被が正装となり、期間中は冠婚葬祭すべてこれでOK、ホテルのロビーでもこの格好なのですが、これがまた博多らしい風景となっています。
現在、水法被は約52種類、当番法被は約54種類。実はこの法被の歴史は意外にも新しいのです。江戸時代の絵図などを見ていると締め込み姿で上半身は裸、これが明治時代になり西洋を見習えという風潮の中、半裸で走り回るのは見苦しいから中止せよと議会で問題になったとか。明...
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もうすっかり福岡市民に愛されている博多座。福岡市民だけではなく、今や九州中から、演目によっては全国からお客さまがいらしています。博多座は福岡市博多区下川端町にある演劇専用劇場、歌舞伎からミュージカルまで月替わりでさまざまな演目が上演される、公設民営の劇場なのです。芸どころだった博多の復活を目指し、福岡市と大手の興行会社が出資し、運営を民間が行っています。座席数は1,500席、あらゆる演劇公演に対応可能な設計がなされているため、回り舞台、花道、奈落、オーケストラピットなどが設置されています。
オープンは1999年6月3日、演目は「こけら落とし大歌舞伎」。12代目市川團十郎による「毛剃(けぞり)」、市川海老蔵のお父さんですね。それに7代目尾上菊五郎による「弁天小僧」、尾上菊之助のお父さんです。そして3代目中村鴈治郎(現 坂田藤十郎)による「京鹿子娘道成寺」などが上演されました。それ以来、毎年6月は1か月間、歌舞伎の興行が行われています。関西以西で歌舞伎を1か月間“常打ち”で上演しているのはここだけなのです。また6月の歌舞伎公演と同じく、今や博多の初夏の風物詩となっているのが「船乗り込み」です。船乗り込みとは歌舞伎興行の際に役者たちがご当地到着を船に乗ってお披露目するという伝統行...
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毎年新年度が始まる4月1日に、市政要覧という報告書を作成しているのをご存じですか?もっとも新しい数字やデータで福岡市の概要を紹介、福岡市のホームページに掲載しています。今回は新しい数字とともに福岡市を案内します。
まず人口、福岡市の人口は年々増加していて現在(平成20年10月1日)は1,437,718人、世帯数は684,717世帯。そのうち、男性は688,050人、女性は749,668人と、女性の数が多く、平均年齢は40.3歳で比較的若い街でもあります。福岡市には7つの区があり、最も人口が多いのは東区、少ないのは城南区です。
福岡市の産業構造は第3次産業と呼ばれる小売業やサービス業、飲食店に集中しているのが特徴。福岡市の基幹産業となっています。従業者数も全体で769,900人のうち、第1次産業(農業・漁業など)は446人と全体の0.1%、第2次産業(工業など)は89,287人で11.6%、残り680,167人が第3次産業で働いています。また、福岡市には金融機関も多く、九州で唯一の証券取引所もあります。
そして福岡市の便利さを象徴しているのが福岡空港の近さ。地下鉄で博多駅から5分、ショッピングゾーンでありオフィス街でもある天神からでも11分でアクセスできるし、...
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今から10年前の1999年3月6日、演劇専用劇場「博多座」の隣にある博多リバレインセンタービルに福岡アジア美術館が誕生しました。アジアの近現代美術を系統的に収集し展示する世界で初めての美術館です。アジア21カ国・地域の多様なジャンルの約2,300点に及ぶコレクションは質量ともに世界に自慢できるものとなりました。
アジア美術は現在、世界各国から注目を集めるようになりましたが、福岡市ではずっと以前からアジア美術に着目していたのです。それは、大濠公園内にある福岡市美術館が開館した1979年までさかのぼります。開館記念展として「アジア美術展」を開催、それからほぼ5年ごとにアジア美術展を行って近現代のアジア美術作品を購入し、現代作家たちに制作してもらった作品も含めて収集してきました。また、美術作家とは呼ばれない職人や技術者などさまざまな作り手たちによる造形物をコレクションの中に加えていったのです。現在、福岡アジア美術館では、たとえばバングラデシュのリキシャアート、これは日本でいうところの人力車に映画スターや動物、草花などが描き込まれたものがコレクションされています。リキシャそのものが作品であり、バングラデシュではもちろんそれに人が乗って走っています。この作品は7階のカフェ「アジカフェ」...
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今や、中学や高校時代から留学することも珍しくないようですが、福岡で最初に留学した人って誰でしょう?海外で勉学することを目的に海を越えて行ったのは、江戸時代、幕府が海外渡航の禁制を解いた、幕末の慶応3年(1867)3月のことでした。このあたりの時代はNHKの大河ドラマ「篤姫」をご覧の方は詳しいかもしれませんね。
当時、赤字財政に苦しんでいた福岡・黒田藩の殿様、黒田長溥は「100年の計は学術文化の振興にあり」と、お金をはたいて6人の若侍を欧米に留学させたそうです。その6人が福岡で最初の留学生といわれ、彼らも勇んで旅立ちます。3月に福岡を離れ、ビザや船待ちで横浜からアメリカの汽船・コロラド号で出発したのは7月、27日がかりでサンフランシスコに到着。横断鉄道などなく、パナマ運河を大回りでボストンへ渡ります。ここで6人中5人が降りますが、一人、19歳の松下直美(なおよし)はさらに大西洋を越えて、ヨーロッパに渡りました。本当はパリ留学を命じられていたのですが、船内で知り合ったスイス横浜領事に「パリは物価が高い。我が国にいらっしゃい」と勧められて、予定を変更、スイスはローザンヌにて法律を学ぶことになったとか。
翌年、日本は明治維新を迎えます。結局学費が続かずに、1年あまりの留学で帰国す...
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日本と中国の交流を裏付ける国宝「金印」が福岡で発見されたことが象徴するように、福岡・博多の歴史は、日本とアジアとの交流の歴史そのものでもあります。福岡は古代から現在まで各時代、各政権が対外交流を行ってきました。そして、その交流の痕跡が街の中に残っています。街の歴史は地域の貴重な財産であり、多くの自治体では自分たちの住む街の歴史を後世に残そうと市史や県史を編さんします。福岡市にも市史がなかったわけではありませんが、行政資料・記録として近代からの歴史しか記述されていません。
そこで、全国にも他に比較することがないほど対外交流の痕跡が残っている福岡を全史的に見た市史をつくろうと、多くの研究者がかかわって編さんが始まりました。今回は、今後15年という歳月をかけて全35巻を刊行する予定の壮大なプロジェクトです。九州大学の先生や学生を中心に、全国から総勢99人の研究者がかかわっています。第1号の配本は2009年度になる予定で、最初に中世の資料編、民俗の特別編が出ます。現在の福岡市域を基本的な対象地域として、原始から現代(2000年)までの歴史を日本国内にとどまらず、国外、特にアジアとの関わりに重点をおいて明らかにするものです。
内容は、政治、経済、社会、文化、風俗、習慣、環境などあらゆる分...
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今月は大名のファッション特集と聞いたので、私も大名の町について書きたいと思います。修士論文のテーマに「大名のコミュニティ」について書いたので、ちょっと詳しいんです。しかし、論文を書いたのは2003年の今から5年前。大名の町にぞくぞくと若者が集まり、週末になるとお祭りでもあっているかのように九州各地から人が来ていた時代でした。それから5年、大名は空き地も多くなり、店舗やビルも閉鎖、客寄せをしなければならないほどに寂しい町になってしまいました。天神は家賃が高いので、それよりも安い大名に店舗を構えたい若者たちが集まって個性豊かな店を造り、集客していました。手作りの内装、自分の好きな古着や雑貨を揃えて営業していた店舗が集積し、それが魅力だったのです。そんな店のオーナーと大名に古くから住む住人とお客さんたちが集まって、掃除をしたり防犯活動をしたりする町でした。
それが、2005年3月21日におきた福岡県西方沖地震で大名や隣の今泉は大きな被害にあったのです。それまで町を守っていたお年寄りや地域活動を行っていた店主たちが大名を離れていきました。戦災にもあわなかったため黒田藩旧城下町の町並みが残り、1855年創業の「ジョーキュウ醤油」の煙突や蔵などが、大名独特の雰囲気を醸し出していたのですが、古い...
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芸妓さんが所属して、お座敷の取り次ぎを行なったりする事務所のことを券番(けんばん)といいます。全国各地にありますが、最近では芸妓さんの数が減り、声がかかるお座敷も少なくなって全国的に減少しています。博多に最初の券番ができたのは明治22年(1889)、大正時代までに5つの券番ができました。当時は好景気に後押しされて料亭は大にぎわいだったといいます。けれども戦争で一時中断し、戦後いくつかの券番が復活しますが、最終的にはすべての券番がひとつにまとまって博多券番となりました。最盛期は2,000名を超える芸妓さんがいたそうですが、現在は21名、10代から80歳代までの芸妓さんが博多券番に所属しています。
芸妓さんの仕事は毎日お座敷に出ることだけではありません。博多芸妓の1年は、毎年1月8日~11日に行われる博多区東公園の十日恵比須神社の正月大祭で始まります。博多の芸妓衆が揃って1年の開運と商売繁盛を祈願するのが9日の「かち詣り」。黒紋付きの正装に博多帯、稲穂のかんざしをさして歩く姿は実に華やかです。5月は「博多どんたく港まつり」に参加。5月3、4日の2日間、博多芸妓は全員で博多の町の各所にある演舞台で、三味線、唄、太鼓、踊りなどの芸を披露します。
5月のどんたくが終わるとす...
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1959年巨人入団から1980年に現役引退するまでに本塁打数868本という成績をおさめ、名実共に世界の「王」として知られた選手、王貞治。その後、巨人軍監督となり、1994年殿堂入り。その殿堂入りした年に、当時のホークス根本監督が監督就任を王さんに依頼していました。巨人の王としてイメージが強く、また、東京出身の王さんがパ・リーグの監督として、九州・福岡に住むという決断をするのにずいぶん悩まれたと聞きました。そして大英断で監督になられたのが1995年。
ホークスは前身の南海時代から長年の成績不振で万年Bクラスの常連でした。福岡に来てみれば、ホークスファンからは「お前らプロか!」という怒声とともに生卵をぶつけられるということもありました。しかし、王監督は「オレは辞めない。勝つしかない、勝てばファンも喜んでくれる」と踏ん張り、就任から3年後の1998年にホークスは21年ぶりに3位に、そして翌年1999年にはダイエーホークス球団設立11年目で初のリーグ優勝と日本シリーズも征し日本一へ導きました。翌2000年もリーグ優勝し、日本シリーズでは長嶋茂雄率いる巨人と闘いました。2003年もリーグ優勝、ホークスは常勝軍団と言われるようになりました。
2006年にはWBC日本代表監督として、日本を世界...
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福岡市を訪れる外国人旅行者が急増しています。昨年2007年は71万9,970人の外国人が、福岡空港や博多港を利用して来福しました。これは前年比15%増で、4年連続ほぼ2ケタの伸びとなっていて、2003年の数(36万5,151人)と比較すると4年間で約2倍となりました。外国人旅行者の中でも特に増えているのは韓国からのお客さま。そこで、福岡市は急増している旅行者のために「外国人向け観光案内コールセンターサービス」を今年2008年7月から開始しました。福岡の観光案内を英語、中国語、韓国語の3カ国語で行っています。電話番号は092-751-6904、携帯電話からでも利用でき、通話料を除いて案内料金は無料です。利用時間は午前10時から午後6時半まで、年中無休(年末は除く)です。交通情報や宿泊案内、飲食店情報、またショッピング情報など民間情報まで提供できます。こんな民間情報まで電話で提供する観光案内サービスを行政が常設するのは日本初のことだとか。このサービスは外国人からの問い合わせの電話に福岡市の観光案内所と市内のコールセンターの三者が接続され、案内所と通訳オペレーターが協力しながら問い合わせに答えるものです。
また福岡市が運営する観光案内所は天神と博多駅構内の2カ所、外国人旅行者には英語など...
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福岡市に住んでいる人なら誰しもが実感するのが、福岡はアジアに近い都市だということです。東京に行く時間と中国・上海に行く時間がほとんど同じ、韓国・ソウルなら大阪と同じくらいなので、私はマイレージがたまると国内よりもアジアに行きますね。昨年2月に姉妹都市締結をした韓国・釜山とは毎日高速船が行き来しています。朝鮮半島、中国大陸に近いという地の利に恵まれた福岡市は、古くからアジア文化の受け入れ窓口としての役割を果たしてきました。福岡・博多を経由してさまざまな文化が日本国内に浸透していったのです。
そのような土壌をもつ福岡市は、市制100周年を記念し(1989年)「アジア太平洋博覧会」(通称・よかトピア)をシーサイドももちで開催しました。171日間にわたるこの博覧会の入場者は、目標の700万人を大きく上回る823万人で、アジア各国と市民レベルでの交流が生まれました。アジアとのつながりを一過性のもので終わらせたくないという思いから生まれたのが、翌1990年から開催されている「アジアマンス」です。主要事業として食文化や音楽、伝統芸能を紹介する「アジア太平洋フェスティバル」や、学術・研究・芸術・文化の分野で業績をあげた個人や団体を表彰する「福岡アジア文化賞」も始まりました。また1991年からは「ア...
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年々福岡を訪れる外国人客は増えています。現在、国際定期航空路線は全部で17路線、1週間に316便*が発着しています。空路で結んでいるのは中国、台湾、韓国および東南アジアを中心に16都市、2006年度の利用旅客数は221万1千人(日本人含む)。また博多港国際ターミナルから釜山港を結ぶフェリーと高速船の利用客は年間約84万4千人(2007年・日本人含む)で、福岡市は今、アジアから注目されている都市だといえるでしょう。
そして今年、福岡市の博多港に中国発着のクルーズ客船が22回寄港することになりました。4月初旬から10月まで、およそ合計で3万2千人が訪れます。福岡市は中国・上海から船で約1日で到着、日本の主要都市の中でもっとも近く、また博多港から天神やキャナルシティなど買い物に便利な都心が近くて便利だと、注目を集めているのです。
上海を出発し、福岡や韓国・済州島などを5~7泊の日程で巡るクルーズ船「ラプソディ・オブ・ザ・シーズ号」が今年の4月5日から5月4日にかけて計6回、博多港に寄港しました。船の大きさは78,491トン、定員2,435人で、博多港に入港するクルーズ船としては「飛鳥Ⅱ」を抜いて過去最大の大きさでした。歓迎式典では、博多金獅子太鼓の披露や芸者さんたちのお出...
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