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博多の芸妓 こ春

妓 -と聞いて、21世紀の日本を連想する人は少ない。

古都・京都はともかく、福岡の都心部を連想する人はほとんどいないだろうし、ましてや、国際交流に関心が高く、世界を駆け巡り、貿易学を専攻した芸妓を想像する者はまずいないだろう。

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ここで、こ春(こはる)を紹介したいと思う。彼女が所属する福岡市の芸妓を養成、管理する博多券番では現在17人の芸妓が活動している。小春は2014年7月に博多券番の仲間入りを果たした新人の芸妓であり、博多券番にとっては5年ぶりの新入りだ。

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一世紀程前、福岡は五つの券番と、二千人以上もの芸妓衆を誇った。福岡の芸妓は、率直で気風のいいエンターテイナーとして評判を上げ、日本中にその存在を広めた。「馬賊芸者」という別名もあるほどだ。

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こ春曰く、博多芸妓は現在も、持ち前の寛容さ、明るさとフレンドリーさで知られているそう。伝統的な踊りや三味線・鼓の演奏、客の接待など、こ春と芸妓の姐さん方たちは、現在も昔と変わらぬ伝統芸を引き継いでいる。今も料亭で客をもてなすことも多いという。

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ただ、以前の芸妓と異なる点は、パレードやお祭り、コンベンションなど、イベントにも呼ばれるようになったことだ。福岡では、5月の「博多どんたく港まつり」、12月の恒例行事「博多をどり」に参加しており、海外からの訪日客が増加傾向にある昨今は、福岡の芸妓たちも、外国人旅行者をもてなす場(座敷)も増えているという。
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ちなみに、こ春が初めて芸妓をライブで見たのは、博多港に入港した海外客船の歓迎レセプションに参加した時だ。その彼女が、今では芸妓として歓迎する側に立っている。

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こ春を芸妓の世界へ導いたのは何だったのか。芸妓を初めて目の当たりにした当時、こ春は2年間、着物のセールスとして働いていた。大学では貿易を専攻し、宝飾店経営の家業に携わりドイツでビジネスを行ったり、NGOを通じてカンボジアへ渡った経験をもつ。そんな時に、白い化粧を施し、華やかな着物を身にまとった芸妓たちを見た彼女は、その『粋』な姿の虜になり、彼女自身もこの世界に入りたいと思ったという。

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当初、こ春は親しい人たちに支えられた一方、彼女が芸妓になると知って困惑する人もいた。芸妓と花魁(遊女)を同じと思っている人がいたからだ。本当の芸妓の意味を理解し、こ春の活躍の様子を知った今では、みんなが彼女を応援している。

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このような友人おかげで、こ春は芸妓文化を伝承する役割の大切さを改めて理解し、見習い期間中は先輩芸妓の姐さんたちからお座敷の作法を習ったり、福岡商工会議所からは伝統芸能振興の一部として助成金で支援してくれた。

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そして一人前に
踊りや音楽、会話の技術を磨き、姐さん方の指導のもと、厳しく長い修行を続けた末、芸妓の道を歩み始めたこ春。福岡ならではの文化や歴史、親しみやすさ、といった魅力を伝える芸妓としての役割は特権でもあり、地元の人や旅行者など様々な出会いを「宝物」だと彼女は目を輝かせた。

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博多券番:hakatakenban.com

Text: Jessica Phelan
Photos: Masaki Kobori, Yuichiro Hirakawa, Nick Szasz

Originally published in Fukuoka Now Magazine (fn211, Jul. 2016)

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Fukuoka Prefecture
Published: Jun 17, 2016 / Last Updated: Jun 13, 2017

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