Now Reports

長期滞在者のつぶやき

の大名を歩くと、飲食店のチラシを配りながら、客引きする店員をよく見かけるよね。ここは九州有数の商業激戦区。狭いエリア内の飲食店同士ですら競争さ。最近では、店舗案内のためのツール、iPadを手に道行く人を追いかけている店員もいて、歓楽街、中州ばりの誘惑も今では当たり前。だけど、僕が通る時は別なんだ。まるで僕が特権階級者のように店員はチラシを引っ込め、目を合わせないよう外方を向くんだ。別に帰路を邪魔をされたい、ってわけではないけど、どうしてこうもガイジンは近寄り難い存在として扱われているのか不思議に思うんだ。日本語が喋れないと思われているのか、通りすがりの観光客と思われているか、まさか客は客でも外国人は不要?理由は定かではないけど、なんとなく全てに当てはまるんじゃないかな、と感じるよ。僕だって地元経済には貢献したいし、気が晴れない時には一杯引っ掛けたくなる。よくある外国人への質問を受け続けるのでなく、普通に会話も楽しみたいんだけど、そもそもの相手が興味をもってくれないから半分は諦めてる。どこも商売には必死なはずなのに、事実上のガイジン無視は経営的に間違っていると思うし、何よりも機会喪失だよ。

でも実はこれって日本にいる外国人にとっては日常茶飯事さ。ガイジンとして、つまり“日本人ではない”という理由で特別扱いされた経験は誰にでもあるってこと。チラシを配る人に冷たくあしらわれるとか、丁寧だけど部外者であることを暗に示されるとか、ね。要するに日本人の「ガイジン恐怖症」や「人種差別的な態度と発言」が、コーヒー&タバコ臭漂う教師らによる教育システムによって、日本人論と称した均質な社会を正当化するために肯定されているってこと。だから、ガイジンはどんなに日本語が堪能であってもいつまでも外の人で、大名の居酒屋に呼び込むまでもない面倒くさい存在、という残念な扱いを受けてしまうのさ。「これがウチのやり方なんだから嫌なら出て行けば?」って姿勢が尊重されちゃっているんだ。「日本人だから…」という弁解には限界があるし、そんな言い訳はまったくもって日本の役には立たないことが分かっているはずなのに、こうも均質社会というベールに包まれたまま、多くの人が差別的な行動を取るのを見ると虚しくなってくる。

ちなみに僕は、こんな態度に遭遇してしまった時は、できるかぎりユーモラスに、そして辛辣な返事をするようにしてるよ。電車内で誰も隣に座らないとか、どこからか聞こえる「ハロー」に困っているガイジンのみんな、まず、日本はあなたの為には変わらないということを分かった方がいい。だからといって君が変わる必要もない。日本が差別に向き合う法律でも導入してからガイジンが努力すればいいさ。

で、何が言いたいかって?そもそもがチラシを僕に渡してくれなかった可愛い店員への当てつけの意見じゃないか、と批判もあるかもしれないけど、ここで言いたいのは、僕は福岡に15年間暮らして外国人としての見解もぼやけてきたかもしれないけど、ここに住むこと自体は好きなんだ。だけど、せっかく福岡に住むなら自分自身の経験を活かし、周囲に振り回されることなく、己の道を進むべし。他国では当たり前に受ける“人”としての待遇ではなく、ここではお客さんとしての扱いを受けることが多いと思うけど、そもそもガイジンのあなたがこの場にいるということ自体が、少なくともこれから地域が成長していくために必要な布石になっているかもね。これぞマイクロアクション、ってことでドーデショ?


シェイン・ボーデン/オーストラリア/サウンドアーティスト

Originally published in Fukuoka Now Magazine (fn173, May 2013)

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Fukuoka City
Published: Apr 26, 2013 / Last Updated: Jun 13, 2017

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