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アンチ・ブランド

ごーい!カチコチだった僕の最初の授業で、僕もブランド品を買うと言った時の反応はすごかった。これはスウォッチ、これはキヤノン、そしてリーバイスに見えるジーンズはイオンのセール品…。これを皮切りに消費者文化について話したかったのに、買ったことがあるブランド品を口にしたら、生徒たちも次々に自分の持っているヴィトンのバッグやキティちゃんの文房具を取り出してそれについて話すばかりで、予定していた内容に辿り着くことはできなかった。

ブランドが多いのはどこの国も同じだけど、日本でのブランド戦略は異常なほど持ち上げられているように思う。広告はいたるところにあるし、テレビ番組のスポンサーもブランド名でいっぱい、そして自動販売機もどれだけ疲れたサラリーマンがいるのかって心配になるくらい(つまりは必要以上に)コーヒーブランドの種類がある。しかも、日本人は自ら率先して歩く広告になってる。完全装備の登山家、高性能ハイテク素材を身にまとい自転車に乗る人、大きな最新型一眼レフカメラを持ち歩く人たち、などなど。こうまで多いと、品質よりもブランド名で選んでるように見えるけどね。

さらに、日本が他の国と違う点を挙げるなら、このブランド論理を製品以外にも適用する傾向があることかな。海外旅行でいえば、外国が決まりきった単純な文句で紹介されている、例えばパリ。観光に行った日本人が毎年数名、パリに抱いていたロマンチックなイメージとは余りにも違う現実を目の当たりにし、精神的に衰弱してしまうとういう現象、パリ症候群なんてのもあるんだ(これがどれだけ酷いかというと、ウィキペディアによると症状は急性妄想、幻覚、迫害妄想、現実感消失、非人格化、不安障害、目眩、頻脈、発汗があるんだって)。モン・サン=ミシェルはフランスで一番美しい場所だと紹介されているけど、実際に行ったことがある人に言わせると、イタリアに近い場所にあるディズニーランドっぽい所らしいし…。他にも、カメラやスマートフォン、ヨーグルトなど、正確な事実よりも、覚えてもらいやすいように単純化されたブランドの思惑を前面に出しているんだ。

かくいう僕すら、イギリス人というブランドになってしまっている感じがする。紅茶と曇り空、サッカー選手のルーニー、といった常套句がある英国ラベル。前述のジーンズだって、天神で知らない人に「ベッカムファッション」と言われてびっくり。どこで買ったかも言ったのに、なんでそんなこと言われるのか最初は訳が分からなかったけど、これは僕のセンスが良いから言われたのではなく、単に外国人だからなんだ、って気がついたよ。ブランドになると一種のアクセサリーになり、見世物になってしまうんだ。悪い思い出のひとつだけど、良くしてくれていた靴屋さんが、私と友人に「靴を見せたい」といって家に呼んでくれたんだけど、イギリス人を見ることができると聞きつけた彼の友達がゾロゾロ集まり、パーティになる始末さ。

でも時々、人はラベルを貼られることをそこまで嫌っていないとも思うんだ。パリ症候群みたいに相手に精神的ダメージを与えたくないけど、マンチェスターユナイテッドの話題ですんなりと会話に入れるという安心感がそれさ。どの会話も同じ文句で始まるけど、その行き着く先はどれも違う可能性があるし、もし、行き着く先がいつも同じだとしても、それは相手が僕を一つのブランドとして見ているからではなく、僕の日本語レベルに限界があるから。外国人というレッテルを貼られ一つのブランドになるのは表現力に乏しい個人の問題だから、そうならないように努力するってのはドーデョ?


ジェシー・カークウッド/レイク・ディストリクト、英国/教師

Originally published in Fukuoka Now Magazine (fn172, Apr. 2013)

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Fukuoka City
Published: Mar 28, 2013 / Last Updated: Aug 1, 2019

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