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スーパーフルーツ誕生の所以

さい頃、お母さんに「好き嫌いしないでなんでもちゃんと食べなさい!」なんて云われなくても果物は好きだった。チーズとかコーヒーとか辛いものが苦手という人がいても、果物がどうしてもキライだーなんていう人は聞いた事がない。そして、ワッカをかけて日本の果物は素晴らしく美味しい。それには理由がある。・・・どうやら日本人にはすべてのモノを極めるという習性があるらしい。例えば電車。毎回必ず同じ時刻に到着するから「電車が遅れる」という観念が生まれる。例えばトイレ、座ってもひんやりしないようにちょうどいい温度に便座がアッタメられ、丁寧にもお湯洗いまでしてくれる。そして果物も然り。品種改良を重ねてただのフルーツを「スーパーフルーツ」に変身させてしまったのだ、それもバカ高い。


糖度と酸味が抜群のオレンジ、蜜のつまった歯ごたえの良いリンゴ、キンカンにでさえ何かしらの工夫が施されている。高級大粒イチゴも甘くてジューシー、口に入れて食べてしまうのがもったいない。今や果物はステイタスの為に存在するのではないかと思える程、プレミアム化されてるのだ。
今日、果物はもはや木に実るものではなく、開発者の手の中に実るものなのだ。「完璧な果物」への挑戦が、木から次第に研究室へとその場所を移していったのだ。結果、果物はそのユニークな特性を脱ぎ捨てある一定の基準を持つものとなってしまった。
もちろん日本の果物はおいしい。だけど本当はそれは大事なことではない。もし日本の山がすべて富士山なら、富士山の価値はなくなるように、昨日のリンゴがものすごく不味かったからさっき食べたリンゴは格段に美味しく感じられる。すべての人が美味しいと思える「平均的な味のリンゴ」が存在するだろうか?いや、自然がもたらす無原則こそ最大の良さなのだ。
果物はもちろん消費のために作られている。だが値札はレア物だからという事よりも、日本文化の中にある、「一番でなければ」という価値感を物語っているようだ。インターネットによる調査ではフルーツの盛り籠は贈り物として万国共通のようだが、日本だけは「一番いい物」のために、お金を使うようだ。そのため、タイではタダ同然のドリアンがなんと1個2万円もするのだ。ナンバーワンである為に品種改良され続けられる果物。そして、果物の進化の最終型を象徴できるものあるとすれば「四角いスイカ」なのであると思うのだが。みなさんドォデショ?

Originally published in Fukuoka Now magazine (fn88 Apr. 2006)

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Fukuoka City
Published: Apr 1, 2006 / Last Updated: Aug 1, 2019

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