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真夜中の爆音ライダーズにみる心の闇?

朝4時。ボサボサの頭に下着姿でベランダに立ち、暗闇に向かって大声で叫んでいる僕。なぜか手にはフライパン…。普段はかなり穏やかな僕もこの日ばかりはキレていた。まるでビルが崩壊するかのような爆音で目が覚めたんだ。窓から覗くとバイクの行列。それも耳をつんざくような騒音を放ちながら道路をジーグザーグと荒っぽく走り抜けて行く。「いったい今のは何なんだ?」 10分後、グーグルサーチの末に彼らには「暴走族」という名前があることを知った。とにかくウルサい暴走族。夜中に暴走する若者たちって本当に迷惑なんだけど、でも待って。これってただの「理由なき反抗」で片付けてしまっていいのかな?

毎晩のごとく鳴り響く騒音とエンジンのうなり声が、僕には段々と「心の叫び」に聞こえてきたんだ。テレビなんかで「暴走族」のインタビューを見ていると、決まって彼らは同じ感情を口にしている、「縛られている、誰も聞いてくれない、爆発しそうだ」。学校の授業、塾通い、外国語のレッスンにクラブ活動、終りなき勉強の日々…と周囲の大きな期待の中で苦しみ、そして助けを求めているんだ。

最近、日本でよくこんなニュースを耳にする。学校でライターを持っていることバレて自殺してしまったとか、学校の成績が悪くて家族を殺してしまったとか、ストレスがたまっていて店員をこん棒で殴り殺してしまったとか。彼らは問題児になる前に死を選んだり、親をがっかりさせることを恐れるがゆえ、その親を殺してしまう。そう、善悪の判断がつかなかったり、物事の尊さがわからなかったりするんだろうね。そういうある程度の常識、善悪の分別やモラルって、子供は親から学び、社会生活の中で身につけていくものだよね。どんなに大人たちが、「学校でよい成績をとることが将来成功する社会人になることだ」って教えたって、全ての子供たちがそういう生き方を選ぶのかな?学歴が人間の本質よりも大事って雰囲気の中で、いったい何が正しくて、どう生きればいいのかって混乱するに違いないよ。

こんなプレッシャーやストレスを抱えた若者たちが、真夜中の静けさの中でクラクションを響かせ、自己主張することで、一瞬の刺激と興奮、スリルを味わい、自由を感じ、発散してるように見える。自分たちの「心の叫び」を聞いてほしいんじゃない?僕にはそれが彼らなりの自己表現のように映るんだ。協調性をより重んじる日本社会で自分を表現しようとする子供たちを、社会や大人はただ「反抗」や「不良」といったレッテルだけで片付けてしまってない?普段は違反者たちを追跡して取り締まるのに忙しい警察だって、「暴走族」たちの後を追っかけようともしないのはどうしてなの?

僕の国でも厳しいアルコール規則が、多くの若者たちのお酒に対する興味を駆り立たせる。少なくとも僕もその一人だったから、そんな若者たちの気持ちってよく分かる。でもさ、かといってあんなにウルサくしなくてもいいんじゃないの?ドオデショ?

Originally published in Fukuoka Now magazine (fn97 Jan. 2007)

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Fukuoka City
Published: Jan 1, 2007 / Last Updated: Aug 1, 2019

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