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新しい通りの名前を付けてみる社会実験

岡市はご存じのように、中洲を流れる那珂川を境に東側を商人の町・博多、西側を城下町・福岡と呼んでいた。今も、その名残があるので、どこが博多でどこが福岡なのかよく分からない人は多い。福岡市に訪れる人は年間1635万人(2004年調べ)、そのほとんどの人たちが訪れているだろう天神の街は旧城下町である。若い人でいっぱいの大名も名前が示すように福岡・黒田藩(江戸時代)の大名屋敷があったところ。古い地図を見ていると、城下町だったところには小さな通りにも名前が付いている。昔は、通りの名前が町の名称であり、住居表示であった。ところが1962年、町の区域をブロックに割り順序よく番号を付けて住所を分かりやすくしようという「住居表示制度」が制定されて以来、ブロックの中にある小さな通りから順々に名前を消されてしまったのだ。

しかし今年、天神にある企業や団体、住民でつくるまちづくり組織「We love 天神協議会」により、天神と大名地区の通りに親しみやすい愛称を付け、案内板を設置するプロジェクトが動き始めた。その名も「まちめぐりナビプロジェクト」、国土交通省が実施する社会実験である。通りの名前はその町に住む住人や勤務する人たちが集まって討論しながら決められた。

たとえば大名は、城下町の頃に付けられていた名前が復活し、黒田藩の医者だった雁林(がんりん)、養巴(ようは)の名前が通り名にそのまま使われる。天神では、郵便局通りや日銀小路、JA(農協)がある通りは「こめこめ通り」と名付けられた。フクオカ・ナウの編集部がある天神3丁目では、昭和通りから北に向かって順番に「天神この通り」「天神その通り」「天神あの通り」という親しみやすい名称が付いた。ちなみに編集部は「天神その通り」にある。

11月から案内板は設置されたが、この通り名は来年1月までの仮の名前。でも、実験期間中に町の人や訪れた人たちに気に入って使ってもらえれば、渡辺通りやけやき通りのようにずっと残る名称になるかもしれない。

Originally published in Fukuoka Now magazine (fn96, Dec. 2006)

 

Category
Art & Culture
Fukuoka City
Published: Dec 1, 2006 / Last Updated: Jun 13, 2017

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