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町を支える「流(ながれ)」のコミュニティ

月に行われる「博多祇園山笠」は、博多の代表的な祭りとして700年以上の歴史を誇ります。豪華絢爛な山笠を舁(か)いて、「おっしょい、おっしょい」という独特のかけ声とともに、締め込み姿の男たちが博多の町を疾走する様子は迫力満点です。ところで、この祭りは「流(ながれ)」という組織で運営されているのをご存知でしょうか。

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「流」は、戦乱で荒廃した博多の町を復興させるため、豊臣秀吉が1587年に行った太閤町割に由来します。「太閤町割」は今でいう都市計画のようなもので、博多の町をいくつかのブロックに分けて再編成したのです。この時の単位が「流」と呼ばれるもので、山笠は現在もこの「流」に基づいて運営され、恵比須・大黒・土居・東・西・中洲・千代の7つの流があります。

「流」は通りを基本に構成される現在の日本では珍しいコミュニティです。日本で中心的な町名による区分では、毎日顔を合わせているお向かいさん同士が別々のコミュニティになってしまいます。通りごとにコミュニティを設定すれば、日常的に親しい人同士で活動することができます。実際に博多の町では山笠だけでなく、さまざまな行事が「流」の単位で行われています。

また、通りを中心にした考え方は、初めて町を訪れた人や外国人にも分かりやすいのが魅力です。欧米では道路に名前をつけ、道路を基準に道案内をするのが一般的。そこで天神や博多駅周辺でも、通りに名前をつけることで道を分かりやすくする試みが行われています。「流」という何百年も前の知恵が、現代にも通じる考え方だなんて素晴らしいですね。

Originally published on Fukuoka Now online (July, 2012).

Category
Art & Culture
Fukuoka City
Published: Jun 28, 2012 / Last Updated: Jun 25, 2019

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