福岡市か博多市か!?


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 明治22年(1889)4月、政府から市制と町村制の公布が行われました。この1年くらい前から新市名を福岡市にするのか博多市にするのかで、大論争が巻き起こっていたのです。1889年4月1日現在で人口は博多部が25,677人、福岡部は20,410人で、そのどちらにも属さないところに1,530人が住んでいたそうです。もともとは博多と呼ばれていた地に、1600年、武将・黒田長政が先祖の地であった備前(岡山)福岡にあやかって、城下町の名前を福岡としました。それ以来、中洲を流れる那珂川を境に東を博多、西を福岡と呼ぶようになったのです。

 誇り高い武士の町・福岡と、古代から港を開き、商人の町として栄えてきた博多の地名を残す戦いです。住民も一歩も譲れません。翌年の明治23年(1890)2月の議会で議員の一人が「市名変更の議」なるものを出し、議論百出。議員は博多17名、福岡は13名だったのですが、大詰めの議会で博多部の議員4名が欠席(トイレに軟禁されたという噂も)、13票対13票の同数に割れたところで、旧福岡藩の武士だった議長が議長席を降りて1議員として投票。もめにもめた結果、1票差で福岡市になったのでした。

 その代わりということで、開通したばかりの鉄道の駅名は博多駅。これがまぎらわしい福岡市と博多駅誕生のお話です。博多駅に到着すると「はかた〜」という案内なので、旅行者にもここが博多なのか福岡なのかが分かりにくい。さらに、ホテル名も施設名も福岡エリアにあるのに「○○博多」と名付けられていたり、博多部にあるのに「福岡○○」というのもありますもんねえ。ちなみに、私は10年ほど前のテレビ番組でチューリップを紹介するプロフィールの中に「出身…博多市」とあったのを見逃しませんでした。それは東京で制作された番組だったのですが、マスコミにおいてすら、このような混乱が起こる都市名なのです。でも、この2つの名称が福岡市の魅力を高めていると思うのですが…。

*チューリップ…財津和夫をリーダーに1970年に結成された福岡出身のグループ。ロックでもフォークでもない新しい音楽分野ニューミュージックを開拓した。1972年「魔法の黄色い靴」でメジャーデビュー。博多への思いを綴った「博多っ子純情」も名曲。

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