フクオカ・ラテンシーン


6615
6616

ラテン入門のススメ

 ラテンダンス、ラテンミュージック、ラテン気質…ひとくちにそう言うけど、いったい “ラテン” ってどういう意味なんだろう…。実は、その疑問を解き明かす鍵は“ラテン語”にあった。そもそも “ラテン語” とは イタリアの小さなプロヴァンスで話されていた言葉が起源、遠い昔は広~く使われていたのだが、現在では学問上あるいは宗教上くらいでしか耳にすることがなくなってしまった。とはいっても、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語…といったロマンス語系の言語たちはこのラテン語がベースとなっている。
 ではでは、その “ラテン” はどのようにしてヨーロッパから南アメリカへ移動していったか。さてさてその昔、とあるスペイン船がインドを目指して航海に出たトコロからその物語は始まる。そのスペイン船は航海の途中、偶然にも南アメリカを発見! その土地は “ヒスパノアメリカ” と命名された。その後、フランスが世界的に権力を増大させていく中で、諸国はスペインからの独立を果たし、19世紀に “ラテンアメリカ” と呼ばれるようになっていったのだ。今にいたっては、
“ラテン” とは言葉や地理上ではなく、文化やライフスタイル、考え方や行動によって定義づけるほうがいいのかもしれない。オープンマインドの精神と人種にこだわらない考え方(例えばアルゼンチンの大統領はスイスークロアチア人だったりする)が根付いた文化。…ってことは、ラテン人になりたければ誰でもなれる(ウェルカム!)と言っても過言ではない!?

文化的ミスマッチ?
「サラリーマンでさえもシエスタ(午後の昼寝)の時間をとる」なんてラテンライフの話を聞けば、このせわしない日本社会とはまったく正反対! なんて思うかもしれない。ところが多くの日本人が、この厳格で組織的な日本社会に嫌気がさしてか、その対照的なラテン思考に惹かれているのは事実。喜怒哀楽、リラックス、そして “今” の一瞬一瞬を大切にする考え方、そういったコトがラテンの人々の豊かな自己表現や個性に役立っているのだろう。6時になったら仕事は終わり! 一切頭を切り替えて、”今” ここにある時間を楽しむ! それが大事。

日本におけるラテンの歴史
 1549年、スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸、後に長崎でキリスト教布教の基礎を築いたコトは、学校でも習ったのでご存じだろう。そして1880年代に、日本→ラテンアメリカへの第一次移住ブームが起こった。過剰人口、そして食料や仕事の不足が理由で、日本政府が金銭面での援助をして移住を奨励したのだ。今だにブラジルやペルー、アルゼンチンなどでは、正確さと気配りを要する(日本人向きの!)フラワーアレンジやドライクリーニングのような仕事が、日本人によって経営され、うまくいっている。続いて、第二次世界大戦後、第二次移住ブームが九州(特に沖縄)からの日本人によって巻き起こった。
 そして1980年代、今度は日本の好景気による労働力不足。その時政府は、日本とも血縁のあるラテンアメリカ諸国から、移民を多く迎え入れた。1990年には日本国憲法の改正によって、日系3世までの外国人は、労働ビザも与えられるようになったのだ。
 現在、福岡には約200を数えるペルー人家族が住んでいる。90年代初頭、ペルー人男性たちが工場や建築現場で働くためにここ福岡にやってきた。そして数年後、彼らは家族を呼びここで新しい生活をはじめた。日本での仕事のリズムに合わせることや日本語を学ぶことは大変なことだが、それでも多くの移民にとって日本での生活はいい経験にもなりえるだろう。ただし彼らが直面している大きな問題もある。それが、子どもたちの教育。言葉の問題により学校で遅れをとり、結局日本語にもスペイン語にも自信がもてなくなってしまうことになりかねないのだ。そういった課題を受けて、ネットワーク九州(九州の外国人を支援する組織/Tel. 092-431-1419)はそのような子どもたちを助けることに着手しはじめている。

ラテン大好きっ福岡
 さて、ラテンの陽気で新しいものを取り入れる開放的な性格は、ここ福岡にも受け入れられた。過去10年でラテン系のバー、クラブ、レストランが街のあちこちに生まれたが、その多くはラテンアメリカへ旅した日本人たちが開いたものだ。彼らは、すばらしいラテン料理のレシピと一緒にカルチャーも持ち帰り、ポルトガル語やサルサ、スパニッシュギターなどなど、どんどん福岡で学ぶことが可能になってきている。
 また、都市の建築景観でさえもラテンの影響を受けていたりする。アクロス福岡とシーホークホテルアンドリゾートをデザインにアルゼンチンの建築家が関わってるって知ってた? それから「ティエンポ・イベロアメリカーノ」といったような、ラテン文化に焦点をあてたカルチャーセンターもある。ティエンポは1996年に設立されたが、ダンス、言語、そして音楽の教室、また本やビデオのライブラリ、アートの展示、そしてイベントの企画などを手掛け、カリビアンフェスティバル「イスラ・デ・サルサ」の主催も務めている。イベントといえば、大きいものでは「アニマテ(イスラ・デ・サルサの刀`ヴァージョン)」も開かれているし、10月に行われている「ふくこい祭り」でのサルサのパレード(今年は未定だけど)も、多くの人の興味を集め評判を呼んだのは記憶に新しい。
 こうした、様々なラテンの影響をともなって、今後、福岡にももっと広くラテンカルチャーが広まっていくに違いない。ラテンの情熱、日本人の思慮深さ、相反する要素がうまくマッチして、これがまた最高のコンビネーションになるはずなのだ!!!

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ページトップに戻る