ファッションプロデューサー


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大倉紀子

 福岡は日本でも指折りのファッションに関心の高い街として知られている。それは自分自身の洋服にお金をかけることができる独身女性が、他の都市に比べて多いということも理由のひとつといわれるが、福岡から発信するオリジナルファッションはそう多くない。しかし、そんな中、今回はとても素敵な女性にお会いすることができた。30名の女性社員でマーケティングと企画やデザインを行う会社ジャンヌマリー代表取締役の大倉紀子さん。日本と海外合わせて30弱のクライアント企業にマーケティングの情報やデザイン戦略を請け負う専門性の高いデザイン会社だ。仕事の内容はアパレルからインテリアまでと幅広い。

編集長/ニック・サーズ

PROFILE
大倉紀子/福岡出身
筑後市生まれ。26歳の時にウィーンへ留学。帰国後、自社「ジャンヌマリー」を立ち上げる。「ジャンヌマリー」では、博多織を現代のファッションに取り入れた〈HAKATA JAPAN〉のプロデュースをはじめ、衣・食・住に関するさまざまなアイテムの、デザイン・企画・開発などをトータルに行う。
ここを見て! http://www.gendarmerie.jp

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Q. 会社をはじめられたきっかけは?
A. 26歳の時にウィーンでゴブラン織りの勉強をしていたんです。その2年間の留学経験が会社を興すきっかけになりました。

Q. どうしてゴブラン織りの留学だったのですか!?
A. 大学を卒業してから、染色や織物を扱う会社に勤めていたんです。企画・デザイン等に関わるうちにいつしか実際に工場の中に入って自分で染めたり,織ったりするようになって。それで、取り扱っていた〈ヘキスト〉というドイツ製の染料に興味を持ち、その会社に「勉強したいので、働かせてほしい」という内容の手紙を書いたんです。まぁ、それはダメだったんですが、それを機に本場(ヨーロッパ)で勉強したいという思いに火が付いてしまって(笑)、手当たり次第ヨーロッパに手紙を書いたんです。するとオーストリアから「ウィーンだったらそういう受け入れがあるかも」という返事がきまして。

O. それで会社を辞めて留学したのですか!?
A. いえ、そこから社長に直談判したんです。「1年間海外留学させてほしい!できれば有給休暇でお願いします」って(笑)。だって自費留学するお金もなかったですし(笑)。当時の社長は海外経験が豊富な元商社マンだったので、気持ちを分かってくれたのか「そんなに言うなら行かせてやろう」と、承諾してもらいました。オーストリアに行ってからは、言葉をはじめ、ホントーっに真剣に勉強しました。

Q. ウィーンでの生活はいかがでしたか?
A. 海外に出ることはもちろん、何もかもがはじめてで、驚きの連続でした!オーストリアは階級社会で、激しい差別もありましたよ。地下鉄に乗っていて、おばさんから罵声を浴びせられたりもしましたし…。その反面、国民の10%は外国人という、国の受け入れ体制はしっかりしていて。留学生の学費も国が負担してくれるんです。人々の感情的な差別はさておき、国として外国人と共生していくという体制はきちんと整っていましたね。当時の日本と比べればやはり成熟した国だったと思います。テキスタイルの勉強はもちろんですが、この2年間で得られたすべての経験が自分の人生に大きな影響を与えてくれたと思っています。

Q. 1年という約束が2年になったんですね…。
A. どうしても1年じゃ足りなくて。生活に慣れてきて、当時の西日本新聞に「大倉紀子のウィーンだより」という連載もはじめました。そんなことが会社にとってもいい宣伝になったのでしょうか、強制的に帰らせられるということはなかったですね(笑)。

Q. 帰国後すぐに独立されたんですか?
A. 戻ってきた時には会社の状況が変わっていて…。ある商社の子会社だったのですが、経営が苦しくなってしまい会社が整理されることになったんです。じゃあどうしよう?自分でやるしかない!と思って、アシスタントをひとり確保し、初めは2人で会社をはじめました。

Q. それが、今では総勢30名のスタッフをかかえる会社にまでなったのですね。社員はすべて女性だとうかがいましたが、女性にこだわってらっしゃるのですか?
A. そうですね。半分はビジネスのため、半分は日本の男性社会に対する反発精神からでしょうか(笑)。女性だけでやってやろうじゃないの~!なーんて(笑)。それはさておき、消費の多くを担うのは女性です。そういうことを考えても、やはり女性の方が気持ちが分かるでしょ。デザインというのはディテールのひとつひとつが差別化されていなければいけませんからね。

Q. これだけ大きくなって東京への拠点の移動は、考えていないのですか?
A. うーん、かつての留学時代にいろいろと世界を見てしまったからか、世界レベルで見ると、日本の中の東京と福岡ってそんなに変わりがないと思うんです。ただ私たちの仕事は“ものづくり”ですので、そのために必要なものは「情報」と「人」です。その量が圧倒的に多いのはやはり東京ですから、全く考えないわけではありません。取引の大部分は東京ですから、東京へ移した方が何かと便利かもしれませんね。東京オフィスもあるのですが、人間的な暮らしがしたいという気持ちもありますし…。迷うところでしょうか。

Q. 東京だけでなく、日本全国、世界各地を飛び回っていてお忙しいようですね。
A. そうですねー。先週は商品素材のチェックで新潟、富山など東北地方へ行ってたんですが大雪に見舞われ、交通機関に影響が出て大変でした。昨年は月に1度のペースで海外出張でしたね。製品の工場は上海・北京なので中国、会議はニューヨークやロス、パリで行われることが多いんです。またJETROからの派遣で視察を行なっているので、2~3週間程度、発展途上国2カ国に行っています。貿易促進のための視察員として、43~44歳の頃に初めて女性として選ばれたのですが、いろいろな国に行けるのがうれしいですね。“知らないことを知ること”が人生最大の喜びです!

Q. 今年の目標は?
A. 4年前から福岡大学で非常勤講師をしていて、今年から九州産業大学でもはじめます。今後は少し出張のペースを控え、ビジネスのノウハウや今まで世界各国見て回って学んだことを、これからの社会を担う学生に少しでも伝えていけたら…と思っています!

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●クセ?
筑後訛りの方言と大股で歩くことみたいです。東京の方が私の言葉を聞いて「ずっと外国人だと思っていた」なんて言われたこともあったんですよぉ~(笑)。

●ケータイ?
私が何気なく設定していた着メロが、どうやらスタッフと同じ曲だったらしく、親近感を持ってくれたんです。着メロで通じ合えるなんて不思議ですね…。

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