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王監督に感謝の気持ちを届けたいです!

1959年巨人入団から1980年に現役引退するまでに本塁打数868本という成績をおさめ、名実共に世界の「王」として知られた選手、王貞治。その後、巨人軍監督となり、1994年殿堂入り。その殿堂入りした年に、当時のホークス根本監督が監督就任を王さんに依頼していました。巨人の王としてイメージが強く、また、東京出身の王さんがパ・リーグの監督として、九州・福岡に住むという決断をするのにずいぶん悩まれたと聞きました。そして大英断で監督になられたのが1995年。
ホークスは前身の南海時代から長年の成績不振で万年Bクラスの常連でした。福岡に来てみれば、ホークスファンからは「お前らプロか!」という怒声とともに生卵をぶつけられるということもありました。しかし、王監督は「オレは辞めない。勝つしかない、勝てばファンも喜んでくれる」と踏ん張り、就任から3年後の1998年にホークスは21年ぶりに3位に、そして翌年1999年にはダイエーホークス球団設立11年目で初のリーグ優勝と日本シリーズも征し日本一へ導きました。翌2000年もリーグ優勝し、日本シリーズでは長嶋茂雄率いる巨人と闘いました。2003年もリーグ優勝、ホークスは常勝軍団と言われるようになりました。

2006年にはWBC日本代表監督として、日本を世界一にしてくれたときは福岡市民として誇らしく思ったものです。そして今年2008年9月23日、監督引退を表明しました。西鉄ライオンズの黄金時代を知らない世代にとって、福岡といえばホークスでした。2005年にソフトバンクホークスとなっても、ホークスの試合に一喜一憂し、勝っては飲み負けては飲み、生活の一部に染みついているホークスです。地域にプロスポーツが存在することの意義を、私たちはホークスで知りました。そうしてくれたのは紛れもなく王監督です。お元気な頃、居酒屋や中華料理屋さんで王監督に会った市民は数知れず。頑張ってください!と応援すると気さくに声を返してくれました。世界の王さんというより、福岡・博多になじんだ地元の王さんです。記者会見で王監督は福岡のことを「生き心地の良い街」と言ってくれました。これからも福岡でホークスを見守りながら暮らしていただきたいと切にお願いします。

Originally published in Fukuoka Now magazine (fn119, Nov. 2008)

 

Category
Art & Culture
Fukuoka City
Published: Nov 1, 2008 / Last Updated: Jun 13, 2017

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