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僕が神様になる日

が天下をとる日、っていうのは言い過ぎかもしれないけど、少なくともそんな気分を味わうためについ通ってしまうんだ。コンビニやレストランなどお客様サービスを提供する場に足を踏み入れた途端に響き渡る「いらっしゃいませ!」の声を聞くために…。そう、ここはお客様が神様の国、日本なんだ!
僕の出身国イギリスは、テレビでよく観るフーリガン騒動なんかから想定できるよう、外に向かって何かを発信するのが得意な外交的な性質に見えるかもしれない。けれど、お客様サービスとなると話は別。レジ裏でお喋り、タバコ休憩、お客様無視なんて当たり前。僕もこの超多忙なショービジネス(!)であるレジ担当をしてたんからよーく分かる。お客様と目を合わせて挨拶なんて、期待する方がおかしいってな具合さ。


逆にお客さんの立場から考えても、日本式サービスを受けようものなら「なぜ微笑みかけてるの?なぜ挨拶するの?何か望みがあるの?何見てるの?何か言いがかりでも?!」と自問は増すばかり。例えそんな不可解な自問に打ち勝って返事ができたとしても「ノーサンキュー」が精一杯さ。
だからコンビニに入った外国人が、その天なる声がどこから聞こえてくるのかと辺りを見回すのを見ても僕は驚かない。入って来たお客様が外国人だと分かったアルバイト店員は、マニュアル外の出来事にわざわざ英語で話しかけようなんてしないから、それ以降のことを心配しなくても大丈夫。ここで言いたいのは、お店に来てくれてありがとう、ってことだけだ。
ともあれ、その言葉を聞いた瞬間は日本社会に馴染んだような気になる。ガイジンが温泉に入ってきたらそそくさと出て行く日本人や、電車内で外国人の隣に座るより最終車両まで席を探しに行く日本人と遭遇したことなんてすっかり忘れて。その「いっらっしゃいませ!」と神々しくすら聞こえる声に全てが消し去られるんだ。
おにぎりを2、3個と間違いなくアズキが入っているであろう甘いものを手にレジに向かうと、イギリスではぺちゃくちゃ喋り声が聞こえるのが普通だ。でも日本ではまず挨拶にはじまり、バッグの必要性について尋ねられ、しまいには帰ろうとする後ろ姿にまで「ありがとうございます、またお越し下さいませ!」だ。
その後、僕はこの崇高なる「お客様は神様です」の思想がどれくらい一般的なのかが気になって、目の前に並んでいる女性を観察してみたんだ。しかしだよ、レジで袋に入れてもらった商品を受け取って立ち去る際に「ありがとう」は愚か、一言もないんだ。神様って感謝の気持ちを伝えないものだっけ?これって僕個人にとっても奇妙なことだし、僕の文化では、人としておかしいことだ。神様として感謝するのは、サービス提供側の役割だと勝手に決めつけた横暴な振る舞いはあちこちで見かけるよ。たくさんの日本人と一緒に観察したけど彼らは一貫して「お客様なんだからお礼は必要ない」。しかし、どんな言い訳があろうとも、レジで「ありがとう」の一言が店員を一瞬かもしれないけど気分良くさせるのは間違いない。神様のように扱ってもらって商品を受け取るんだから、同等とまではいわないけど、少なくともお礼に皇太子のような気分にさせてあげるのはドォデショ?
ガンジーがかつてこう言った。「お客様は最も大切な訪問者ですが依存はしません。我々がお客様に依存しているのです。」日本人客はこのことを踏まえて行動している。日本の店主も然り。もちろん僕もそれを知っているけどイギリス人。「ありがとうございます」と言い続けるし、これからも変えるつもりはない。僕が日本社会にどっぷり浸かるにはまだ時間がかかりそうだ。

ダンカン・カヒル
マジシャン、教師

Originally published in Fukuoka Now magazine (fn129 Aug. 2009)

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Fukuoka City
Published: Aug 1, 2009 / Last Updated: Aug 1, 2019

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