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タイム・トゥ・セイ・グッドバイ〜君と旅立とう〜

分がこんなことを書くことになるだろうとは、今まで考えたこともなかった。ここ福岡を最後にアメリカに帰るってことをね。

16年間を福岡で過ごし、日本での生活は通算19年、アジアでくくると20年間を外国の地で過ごしたことになるが、ついに母国へ戻る決意をした。もちろん、日本を去る外国人は僕が最初でも最後でもない。長らく滞在する外国人は、周囲からも“居住者”として認識されるようになるが、その境界線をとっくに超えた今さらの帰国宣言に周囲は驚いた。そして僕自身も。

なぜ帰国を決心したのかって?その問いに対する答えは難しいけど、どうしてこれほど長く滞在したかった理由は簡単さ。異文化への途切れることのない好奇心に尽きる。日本という国は、僕が知るどの国よりも異文化圏なのに驚くほど暮らしやすい。2,3年滞在した友人たちは「そろそろ帰国の時じゃない?」と、心の奥底から聞こえてくる声を無視できずに帰国するけど、後になって、もう少し長くいれば良かった、なんて後悔してる。ともあれ、今まで僕にはそんな声すら聞こえなかったんだ。今までは…

しかし、日本との縁を感じながらも、ついには去るべき時が自分にも迫っている感覚から逃げ切ることができなかった。英語教師として教壇に立ちながら、年々生徒数が減少し多くの学校が閉校を余儀なくされる現実を目の当たりにし、僕が教えていた学校も例外ではないと感じていた。外国人としての限られた選択肢の中において貴重で安定した職に恵まれてはいたけれど、日々不安は募るばかりだ。自分の意志に反して、このまま職を失うのではないか?そして子供たちの将来も心配だった。日本では英語のネイティブスピーカーの採用を増やしているのを見ても分かるよう、これからの就職には英語力が必要不可欠だ。その事実を鑑みると、子供たちは英語圏の環境に置くべきではないのか?概して日本に滞在する外国人講師の子供たちは英語力に乏しい。もちろん自分の子供たちにはそうなって欲しくなかった。英語での日常会話には不自由しなかったが読解力が十分でなかった娘にいたっては、5年生からアメリカの学校に転入させ、今ではネイティブと同等レベルに追いついた。子供たちが各々の力でたくましく、新しい環境に順応していく姿を誇らしく見守る父としての自分がいる。

日本が恋しくないかって?もちろん恋しいさ!恋しいものを挙げていったらキリがないし、そもそもとって代わるものもがないからね。例えば、温泉や九州の山々。渓谷にひっそりとたたずむ宿屋や食事処。そして何よりも日本にいる友だち。心を許せる友だちと出会い、過ごした時間は何にも勝る。困った時には寄り添い、励ましてくれた仲間たちのおかげで、最高の時間を過ごすことが出来た。海外での張りつめた生活の中で同じ思いを分かち合える友人に恵まれる、それはつまり、人生における親友を得ることだ。

しかし中年となり(これも無視出来ない現実)、次への挑戦に気持ちが固まってしまったのだ。今回は母国への帰郷。長く離れていたため慣れないことばかりだし、感覚もずれてる気がする。それでも新たな場所でどこまで自分の根を張ることができるか試してみたいんだ。自分なりの方法でね。世界中が不況に喘ぐ中、こんな呑気なこと言ってられないのかもしれないが、僕を日本へと突き動かしたのと同じ、あの「ソワソワした感じ」には抵抗できない。日本には帰りたいときにいつでも帰れる。日本でのすべてはいつでも僕の心にある。まだ朝早いけど、時差があるからはじめるよ。大好きな日本へ、カンパイ!


P. ショーン.ブランブル
アメリカ合衆国「カルチャーショック!ジャパン」著者

Originally published in Fukuoka Now Magazine (fn167, Nov. 2012)

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Fukuoka City
Published: Oct 30, 2012 / Last Updated: Jun 13, 2017

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