ドォデショ
シェイクスピア名作のひとつ「十二夜」の登場人物オーシーノは『もし音楽が恋の糧であるのなら 続けてくれ』と呟いている。そして、イギリスの詩人バイロンは『人間に耳がある限り、すべてのものに音楽が宿る』と言っている。そう、ABBAだって『Thank you for the music♪』と歌ってるではないか。このような言葉を残した人々は、みな日本人ではない。なるほど!いつでもどこでも聞こえるあの「音」に日本人は皆我慢してるんだから。
先日、阿蘇を訪れた僕。天気もすばらしく良くて自然を満喫しながら散歩をした。緩やかな丘、色鮮やかな紅葉、景色を明るく照らす陽の光、実に美しい時間。この静寂を壊すのは子供たちの無邪気な笑い声と風の音だけ・・・と言いたいところだが、何故だかそこにはスピーカーから大音量で流れてくるマリンバの音「…はぁ?」絶景を楽しむのに最悪の音楽だ。まさに悪夢。
「あの音はナンダ?」沸々と湧いてくる疑問、そしてだんだん怒りにかわる。「この音は今の時間に何の意味があるのだろうか」…いらいらするよなマリンバの音楽に時間を壊された僕は、ただ唖然としていた。いや待て,ここは日本なのだ。万物に神が宿るように、万物には必ずテーマソングも存在するのだ。自分が好もうと好まざると音楽は流れる。Bストのジングルで1日が始まり、”ビークビックビックビッ○カメラ♪”でシャワーを浴びる。そしてYドバシのテーマソングにて朝ごはん。そのうちアのつく保険会社のアヒルの歌にも悩まされる事になるに違いない(笑)。商店街では、わざわざ「録音された喧噪」が聞こえてくる。もうパチンコ屋の話なんてするまでもない。館内に誰一人いなくともパチンコの玉がヒットする音、まるで「一生の蓄えが流されていくような音」に聞こえるよな気さえしてくる。
ヒッチコックはかつて『観客を退屈させるよりも困惑させたい』と言った。音楽の神様である弁財天はどうやら、退屈な音のない世界よりも様々な雑音で僕たちをいらだたせたいらしい…。「音」とともに生きるニッポン。皆さん、どう思う?
Originally published in Fukuoka Now magazine (fn86 Feb. 2006)